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湯河原温泉の歴史

湯河原温泉の発見説

大化の改新後まもなくの674年に加賀の国(金沢)から、名族の血統である二見加賀之助が、新しい政治の圧迫を逃れる為に湯河原に移住し、開拓の際に温泉を発見したという説が残されています。また、奈良薬師寺の大高僧、行基(ぎょうき)が大仏を作るための寄付を集めるために全国を旅している最中に、箱根山で病でうずくまっている乞食に出会うところから物語が始まり、乞食に言われるまま彼を背負って渓谷に向かうと湯が湧き出し、湯に入るとあっと言う間に病が直っただけでなく、実は正体は薬師如来だったという話が残されています。

これ以外にも、同じく大高僧の弘法大師が湯河原の谷で修行した際に見つけた説や、優れた修行僧であった役行者役小角(えんのおづの 飛鳥時代700年頃)が神通力によって見つけた説、怪我を負った狸が傷を治す為に湯を見つけて治した等の説が残されています。

狸説に関しては、湯河原で傷を治した狸が人々に恩返しをした説があり、この狸を祀った神社があります。(万葉公園/狸福神社)町の人々も昔から狸をこよなく愛し、湯河原では狸にちなんだ「坦々やきそば」も新たに作られ、多くのお店で振舞われています。

湯河原温泉・日本最古の記録

日本最古の和歌集、万葉集(760年前後)に、唯一温泉の様子が記されているのがここ湯河原温泉です。【あしがりの土肥の河内に出づる湯の、世にもたよらに子ろが言はなくに】(巻十四の東歌/相模の国の歌十二首の中の八首目)
[意味]:「湯河原の温泉が、夜となく、こんこんと河原から湧いているが、その湯河原温泉が湧き出るような情熱で、彼女が俺の事を思ってくれているかどうか、はっきり言ってくれないので、毎日仕事が手につかないよ」
この歌が万葉集初期の歌として多分に民謡性を帯びていると思われているところから想像すれば、すでに湯河原の渓谷には温泉が湧いていたことは勿論、その頃の人々がその温泉が湧き出る様子を女性の情熱にたとえて、酒の酔いに浮かれながら歌った素朴な生活ぶりが想像できてゆったりとした気持ちになります。

温泉にまつわる歴史行事・祭り

◆やっさ祭り
源頼朝の源氏復興の一大原動力となった、土肥郷(湯河原)の領主"土肥次郎實平"が、領民の人身安定のために始めた「實平踊り」が起源であるといわれています。鎌倉幕府成立後、その手腕を高くかわれた實平は、瀬戸内海の治安確保のため、安芸国(広島県)に派遣され、数々の事績を残しました。
湯河原と広島県(三原市)の両市町は土肥氏とその子孫である小早川氏ゆかりの都市であり、また「やっさ踊り」を通じて両市町民の間に親睦の輪が広がったことから親善都市提携を結んでいます。
現在1年おきに互いの都市を訪問して、やっさまつりへの参加などを通じ交流を深めています。

◆「湯かけまつり」
江戸時代、湯河原温泉は「江戸より二十四里、切り傷などに効能がある」と温泉番付に記される程、全国的にもその効能は有名でした。そして、この温泉の湯が薬湯として万病に効くことから、当時は徳川将軍家にも献上されていました。この時、道中の安全を祈願しお湯をかけてお払いしたという故事にちなんだ豪快なおまつりが、湯河原で最も有名な「湯かけまつり」です。町中が神輿で溢れ、湯を掛け合う様子は圧巻です。

戦争後に療養地として選ばれる

湯河原温泉のお湯は薬湯として有名ですが、とくに傷に効きめがある事から、後の療養場所として傷病兵の療養に指定され、全国的にも有名になりました。


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